子供にイライラ・ガミガミするのをすっぱり辞められた理由

真理子です。

私には3人の男の子がいます。3番目は、昨年生まれた赤ちゃんです。

長男と次男はそれぞれ小学生と保育園児ですが、
とても元気いっぱいで“THE 男の子”って感じです。

人の話は基本的に聞いてませんし(笑)
変身ポーズをキメて戦いごっこが大好き。
棒やヒモを持ったら必ず振り回しているし、
子供部屋なんて、片づけても片づけても、ほんの10分でぐっちゃぐちゃです。

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(もしかしたら子供の性別は関係ないのかもしれませんが、)
私も世の中の多くのママさんと同じように
子供にはガミガミ叱ってしまう、口うるさい母親だったのです。

本業がカウンセラーでヒーラーなのに、プライベートはこんな有り様。

変わりたい、と強く感じたきっかけ

特に長男に対しては、彼が小学生になってからというもの
「宿題を早くしなさい」
「ゲームは宿題が終わってからって約束でしょ!」
などと、毎日なにかしらお説教をしていました。

でも、先日こんな記事を読みました。


これを読んで、めちゃめちゃ心を動かされました。

私だって、ヒステリックに説教したいわけじゃない。
こんなふうにナチュラルに子供を褒めることができて、家族みんなが十分にリラックスできる家庭を作りたい!

今のまま変わらずにいたら、いつか子供たちの心に大きな傷を残してしまうかもしれない。

どうしたらいいんだろう?
これは、徹底的に自分自身が取り組むべき課題だ、と思いました。
なのでセルフワークをスタートしたのです。

子供を信頼できないのは、私が失敗したせい

なんで私は息子に口うるさく「◎◎しなさい」と言うのだろう?

→ それは、「言わなければやらない」と思っているからです。
子供について、言われなくても自分でやるべきことをやれると
信頼していないのですね。

では、なぜ信頼していないのか?
ここからが、私がカウンセラーだからこそ深く掘っていける部分です。

真っ先にあがってきた理由…それは、
「私が過去に子育てを失敗したと思い込んでいる」せいでした。
過去にこんな記事を書きました。

特に長男は、私の二度の育児ノイローゼを
(たとえ、本人の物心がついていないとしても)
目の当たりにしています。

それの悪影響が出てるんじゃないか?と不安になっている部分があるのを見つけました。

子供に必要以上に厳しく接してしまう裏側には、
「かつて私が未熟なママでごめんなさい」と謝っている罪悪感が隠れていたのです。

「ひいきされてごめんなさい」

そしてもう一つ。
私は、「子供は公平に扱われるべきだ」と思っています。

それには、私が長子(親にとっての第一子)であったことが関係しています。
私は子供のころから勉強が好きで記憶力もよく、成績が良かったので、
「よい子」として褒められることの多い幼少期でした。

下に弟が2人いますが、弟たちは
「ねえちゃんが、俺らのぶんまで頭の良さを持ってった」
と言っていました。
弟たちはもしかすると冗談で言っていたのかも知れませんが、
私はそのことについて「ごめんね」と思っていたのです。

私が贔屓目に扱われることに罪悪感があるぶん、
別の何かでマイナスを作り、それでバランスを取ろうとしていたのです。

だからこそ、
第一子である長男に対して、
「第一子は何かと得をするのだから、下の子よりも厳しく扱われる必要がある」
という思い込みを持っていたのです。

この2つに気づいたとき、強烈に、「もうこんな思い込みはいらない!」と思いました。

長男は、私とは別の人生で、別の人格です。
そして、私が「過去に子育てに失敗した」と思い込んでいる限り、
【失敗】を反映した【現実】があらわれ続けます。

そんなの、いやです。

私は、いまこの瞬間から
「私の子育ては大成功♡♡♡」
って思いたいですから。

私は即座に、自分の潜在意識を書き換えました。

「失敗は成功の母」は本当か?

さらに深い部分に、
「失敗があるからこそ、成功がある」
と思い込んでいる信念にも気づきました。

これ、一見よさそうに見えますが、
「失敗があるからこそ、成功がある」と思い込んでいると、成功の前に必ず「失敗を作り出す」ことになります。

そんなの、いりません。
失敗は別にしてもいいけれど、
成功のためにわざわざ失敗を招き入れるのはナンセンス。

今も、昔も、これからも、私の子育ては大成功!という現実だけが、欲しいです。

潜在意識を書き換えたら、即座に現実が変化する

これらの深い部分を解放して書き換えたら、即座に現実が変化しました。

この一連の作業は、
私が次男を保育園に迎えに行く途中でおこなったのですが、

帰宅したら、長男がひとりで宿題を終えていました!!
いつもは私のお説教のあとで、しぶしぶ取り掛かるのに。

もちろん、めいっぱい、褒めました♡♡♡

あれから数日、私のなかにあった「子供たちを監視する目」がなくなったのを実感しています。

この「監視する目」は、実は、子供たちではなく、
罪悪感を感じるように、自分で自分を見張っていた目なのですね。

そして、いちばん大切なことが以下のことです。

私が幼いころに、褒められてうれしかったこと。
愛されているって実感できたこと。
褒められて、もっともっとがんばろう♪って思えたこと。

ただ、それを思い出すだけでした。

幸福な記憶は、そこに抑圧やねじ曲げた解釈などがなければ、
それは誰かを同じように幸福にするパワーと装置になります。

長男はもう叱られることも急かされることもなく、
自分で決めて、自分で宿題をしています。

自分の思考が変わるとき、現実が即座に変化していきます。
(もし現実が変化しないのであれば、それは、思考がまだ根底から変わっていない証拠です。)

子育てをしながら、こんなに満ち足りた幸福感と、
一点の曇りなく自画自賛(笑)できる喜びを感じたのは初めてです。

我が家の「褒めて育てる」システムは始まったばかり。
ここから家族全員がどう育っていくのか、楽しみです。