「思考 VS 本音」と思っているうちは、絶対に手に入らないものがある

真理子です。

以前から気になっていたことがあります。それは、『(頭で考えた)思考』を悪者にする風潮。

ざっくりいうと、
“思考はエゴ(の一部)で、本当の自分を隠してしまう。
頭で考えた思考のせいで、自分の本音が分からなくなっている。”
というような考え方です。
→ だから、心の声(人によっては肚の声、子宮の声)に従いましょう、という主張の流れになるのですが…。

私は、それに対して「ちょっと待って」と言いたいです。

思考であれ、感情であれ、なんであれ、あなたの中にあるものは、すべてあなたの一部です。

なんで自分の一部を否定するの?
なんで自分の一部を悪者あつかいするの?

自分の中に対立や否定を作ると、どうなりますか?
→ 内なる完全な調和・一体感がますます遠のきます。

いまあなたの中にあるものは、すべて『意味があった』から存在しているのです。
これっぽっちも意味がなかったら、
役に立つことも、価値もなかったら、それは存在することができません。

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断捨離やミニマリストなる生き方が一部で流行していますが、それだって、単に「物を捨てればいい」ってものではないでしょう。
溢れんばかりにモノを溜めこんできたのなら、
その「モノ」が果たしてきた役割があるはずです。

それは寂しさを埋めることだったり、
虚栄心を満たすためだったり、
「みんなと同じ」という安心感を得るためだったり。etc.

「モノ」のおかげで、感じずに済んできた、見ないで済んできた嫌な感情があるはずなのです。

捨てようとする行動の裏には、「いままで避けてきた嫌な感情と向き合う」プロセスが必ずあります。

 

思考の存在もそれと同じで、かりに「ネガティブな思考」というものがあるとして、
それがあるおかげで、あなたが徹底的に避けることができた最低最悪なことがあるのです。

思考を悪者にして、それと戦っているうちは、
本当のラスボスに出会わなくてすみます。

本当のラスボスとは何でしょうか?

それは、あなたがその「ネガティブな思考」をみずから生み出した、「強烈な原体験」です。

これを二度と経験しなくても済むように、
まるで安全装置のように
あなたの思考が、あなたを守っていたのです。

思考は、あなたの敵ではありません。もちろん、本音の敵でもありません。

思考は、あなたの味方なのです。
あなたが思考と和解して「思考との調和のとれた一体感」を感じられたとき、まちがいなくあなたは、「本当の自分」がなんであるかを知ることになります。