スピリチュアルと愛しあう【後編】~科学的根拠と私が夢中になる理由~
前編はこちら ↓
後編では、現実主義者である私がなぜスピリチュアルを信じるのか、さまざまな観点から説明していきます。
私はスピリチュアルは科学的に説明が可能であると考えてます。
ただしそれは、私たちが一般的に常識と信じている、「学校で習う科学」ではありません。
そのうちのひとつに量子力学があります。
最先端の科学がスピリチュアルを説明する
量子力学は、物質を構成する極小単位である電子や素粒子などの、「ミクロな世界」を扱う物理学です。
19世紀末~20世紀初頭にはじまったものなので、自然科学として新しい研究分野です。
量子力学は、従来の物質主義的な考え方を根幹から揺るがすものでした。
物質は「見ようとするとふるまいが変わって見える」エネルギー
私がヒーリングとは何ぞや?を勉強し始めたとき、この量子力学が見せてくれる世界観は、強烈な魅力をはなっていました。
何かというと、物質は、「実体(粒子)」であると同時に、「物質ではないエネルギー(波)」である、というものです。もうこの時点で(一部の理系の人以外は)わけが分かりませんよね?(笑)
でも、量子力学のわけのわからなさが、ヒーリングやスピリチュアルを理屈として理解するのに役立ったのです。
量子力学が登場するまでの「近代科学」は、こんな感じです。↓
「この世に存在するすべてのものは、宇宙も含めて、目に見える物理的なものを理解することで解明される」と信じられてきました。(物質主義)
この考え方は、16~17世紀の数学者デカルトや科学者ニュートンなど以降、あたりまえの考え方となります。
そして、少なくとも19世紀までの科学者(自然科学者)は、「表面上どんなに複雑なものも、細分化してそれぞれを研究すれば解明される」(還元主義)「自然界で起こることは作用反作用の結果であり、予測できコントロール可能である」(因果決定論)と考えてきました。
そしていまでも、私たちの「一般常識として信じる科学」は、ニュートン力学に立脚した「近代科学」の範ちゅうです。
高校生のとき、理科の授業で習いましたよね?
「物質を小さくすると分子になり、原子になり、原子には原子核がある。原子核のまわりに電子がまわっている。原子核の中には陽子などがあり、最終的にはクオークという物質がある(らしい)」
というふうに。
これを習ったとき、私たちの脳内イメージは、超高性能な顕微鏡で観測すれば、原子核やクオークも目で見えるように思いませんでしたか?
でも、実際はそうではありません。超高性能な顕微鏡で原子の構造を見ることができたとしたら、焦点をあわせたとたんに、その空間には何も見えなくなる、という不思議な現象が起こります。物質の最小単位は、目で見ようとしてもはっきり見えないのです。(ふるまいが変わって見えます)
量子力学の発展によって、ミクロの世界では、従来の近代科学(古典科学)では説明のつかない現象が起こっていることが分かっています。
たとえば、
- すべての物質には、「粒子」と「波動」が同時に存在している
- →すべての物質を原子より小さいミクロレベルで観測したら、量子というエネルギー状態に行き着く。
- 量子は、観測されるとふるまいが変わって見える
- →量子は観測のされ方によって「粒子」のように見えたり「波」のように見えたりする。「見る」という行為が物質に影響をおよぼす。
- 量子は「ふたつの状態が重なり合う」ことが起こる
- 量子テレポーテーションという動きが存在する
など。量子力学はいまだ発展を遂げている学問分野です。
難しいこれらのことをごく簡単に説明した外部サイトがありましたので、リンクしておきます。
【誰でも分かる】「量子力学」ってなんなの? 詳しい人に聞いてきた【入門編】
そして、量子力学というミクロレベルでの学問の発展が、宇宙というマクロレベルでの学問の発展とリンクしています。
宇宙はいくつも存在し、パラレルワールドがありえる
たとえば、「超ひも理論」とよばれる仮説がありますが、これは、素粒子がひもでできていると説くもので、宇宙の誕生やしくみ、多次元についても理論的に説明するものです。
「多次元宇宙」だなんて、それこそ私たちがこれまで信じてきた「物質主義的な近代科学」からは信じられないと思いませんか?
我々と別の宇宙は本当にある 物理学の最新理論 宇宙論研究者の野村泰紀教授に聞く
ミクロレベルの研究が、宇宙というマクロなものを説明するのですから、そのミクロとマクロのあいだにいる私たち人間も、その理屈の範囲におさまらないはずがないと私は考えます。
いまや、最先端の研究をする科学者たちが、「今いる次元と違う次元」だとか「パラレルワールド」なるものの存在を肯定しています。
一般の人のほうが、よほど、「オカルトだ」といってそのような話を認めようとしません。
物質主義的な近代科学を信じこんでいるからですね。
昨年、私の好きなTV番組「ホンマでっかTV」で、科学者の先生方がパラレルワールドや重なり合った状態について言及しました。
Youtubeで見つけたのでリンクします。
スタジオの皆さんの反応はさんたんたるもの(笑)。
科学者たちがいくら「物理学で証明された」と説明しても、マツコ・デラックスさんなんかは「頭良すぎておかしくなっちゃった」と切り捨てています。笑
世の中の反応は、多かれ少なかれ、こういうものです。
これまでの記事で何度も書きましたが、人間は「自分が信じているものを信じる・信じたい」「それ以外を信じない・信じたくない」生き物なのです。
思考や意識もエネルギーである
「意識が物質を動かす」というような、これまで念力だとか超能力だとかオカルト的にあつかわれてきたものも、現在では真面目に研究されています。
たとえば、以下の動画はNHKで放送された「サイエンスZERO」の一部です。2:04くらいから、実験が行われている場面が紹介されています。
上記番組でも説明されているとおり、「光子」という極小物質の動きをもってして、超能力や念力の存在を科学的に実証したとは言えません。
ですが、「思考」に何らかの力があることは私たちも経験則的に知っています。
もっとも有名な思考の力は、「プラシーボ効果」です。ある薬に効果があると信じると、実際は薬ではなく砂糖であっても効果が現れるというものです。
「火事場の馬鹿力」もそうですね。「いまこの瞬間の危機」を認知したことにより、通常では考えられないような力が発揮されます。
私たちの内面でおこなわれる「思考」という「目に見えないもの」が、「目に見えるもの(物質)」に影響を与えているという事例はいくつもありますし、それは今後ますますメカニズムが解明されていくはずです。
また、IT分野では、脳の生体信号をよみとってロボットを動かすなどの研究はすでにおこなわれています。もしかすると、今後ITテクノロジーの発展にともなって、「思考」や「念」の正体が見えてくるかもしれません。
心とはなにか。
意識とはなにか。
思考とはなにか。
そこまで科学的に解明されてくれば、霊とか魂についても説明がつくようになると考えられます。
それはすなわち、生命の誕生やメカニズムについて説明することになるはずです。
やはり、量子力学や宇宙論などの最先端科学の研究・発展がカギになるのは間違いないように思います。
不思議な体験はなぜ起こるのか?
では、次に視点をすこし変えて、ヒーリング体験や心霊体験など、スピリチュアルと言えなくもない「不思議体験」について書いてみます。
「祈り」が遠くにいる赤の他人を癒す
「祈り」や「ヒーリング」といった、疾病の治癒を目指す方向性の思考については、過去に数々の実験がおこなわれています。
エリザベス・ダーグという精神医学者が、研究者フレード・ジッハーとともにおこなった実験は、このようなものです。
※下記引用元:ダイヤモンド社発行 ブルース・リプトン著『思考のパワー』初版P298~
※著者参考文献:McTaggart. The Field: The Quest for the Secret Force of the Universe, P181-196.
※現在、この記事は編集中です。元論文に当たれるよう探しています。
- 40人のスピリチュアルヒーラー(キリスト教信者やシャーマンまで幅広い)が、遠隔で患者に祈りを捧げます。
- この40人のヒーラーは、全員、過去に「医療機関で望みがないとされた人を回復させた」経験があります。
- 被験者に選ばれた患者は20名。全員が、同程度に病が進行しているエイズ患者です。
- 患者20名には、全員が医学的な治療がおこなわれていますが、祈りの実験のことを知りません。
- 患者20名をふたつに分けます。半数の10名は、医学的な治療がおこなわれるほかは、特に祈られることはありません。
- 残りの10名について、「名前・顔・写真・T細胞の数」をヒーラーに伝えます。患者とヒーラーは赤の他人で、ヒーラーは患者に会うことはありません。祈りはすべて遠隔です。
- ヒーラーは、1週間に6日、1日1時間、患者が「健康になるように」と念じます。
- 患者ひとりあたり、4人のヒーラーが、10週間祈りをささげました。この間も、祈られた患者は、自分が祈られていることを知りません。
この実験結果は、実施したターグたち自身が信じられないほど顕著なものでした。
祈られなかった10名のうち、4人が半年以内に亡くなりました。ところが、祈られた10名は、全員生きていたのみならず、以前より良くなっていると感じていて、この主観的感覚は、医学的分析でも客観的に実証されました。
その後、ターグとジッハーは繰り返し実験をおこないましたが、「ヒーラーから祈られていた患者が明らかに測定可能なほど回復している」と結論づけました。
また彼らのほかにも、ラリー・ドッシー博士(医師)も祈りの治癒効果を提唱しています。
この実験での大きな着目ポイントは、「祈られてたことをまったく知らなかったのに、違いが認められた」ことではないでしょうか。
患者本人の「生きる意欲」とか「治りたい気持ち」の有り無しが、結果にまったく関係なかった、という点です。
私の個人的なヒーリング体験
私自身、はじめてシータヒーリングを受けたときに、あきらかな体感と効果を感じました。このときの物理的な距離は、「東京⇔大阪」です。そのときの体験を書いた記事が下記です。
また、シータヒーリングのほかに、レイキヒーリングも過去に遠隔で受けたことがありますが、このときの体感も相当強かったです。このときの物理的距離は「東京⇔九州」です。
このような、個人の体験をもってして、「だから遠隔ヒーリングは存在するのです」と主張するつもりはありません。
ですが、人によって「鋭敏な感覚」とか「得意とする感覚」があったり、または「感受性の強いジャンル」がある、というのは誰もが直感的に理解できると思うのです。
私自身にはたまたま「ヒーリングをキャッチする感受性」がそなわっていたようです。
感受性のない人・弱い人・閉じている人が「オカルト」よばわりする
たとえば、「絶対音感」を持つ人、「絶対舌感」を持つ人、「匂いを嗅ぎ分けることに他人より圧倒的に優れている」人、が世の中には存在しますね。
彼らは、「音」「味」「匂い」にそなわっている、「何らかの物質 or エネルギー」を鋭く感知して、違いを見分けることができます。
それと同じで、霊感が強いとか、オーラが見えるとか、動物の言葉が聞こえるとかも、いわば、「霊」「オーラ」「動物の念」の「何らかの物質 or エネルギー」を感知していると言えます。
ところが、「霊」「オーラ」「念」という話題になると、とたんに「そんなものは存在しない」「オカルトだ」と否定する人がいます。
しかし、「存在しない証明」はできないのです。「存在するかもしれないし、しないかもしれない」と存在可能性を論じることはいくらでもできますが、「不存在」を証明することは論理的に不可能です。(このことを俗に「悪魔の証明」と言いますね)
これは私の仮説ですが、「霊」「オーラ」「念」といったものは、それをしっかり感知する感覚(感覚器)を持つ人の数が「圧倒的に少ない」のです。
「音」「味」「匂い」は誰もが感覚器官を持っているため、感受性の強弱を比べることができます。
でも、「霊」「オーラ」「念」といったものは、それを感知する器官を持っている人が少ないため、持っていない人は「そんなものは存在しない」と断言したくなるのです。
その理屈だと、鼻の穴が何かの理由でふさがっている人が「匂いなんて存在しない」と言っているのと変わりません。
実際に、「霊」「オーラ」「念」を、見たり感知したりする人は世のなかに存在します。私の友人知人にも多数います。
こういう感覚を、現在では「超感覚」と言います。
でも、彼らは声高に「見える」とか「聞こえる」とか言いません。なぜなら、怪しいだ嘘つきだのと攻撃されるからです。大多数の人間が信じている科学が、「物質主義の近代科学」だからです。
「超感覚」は量子力学と親和性が高いのだろうと私は推測しています。
「霊」「オーラ」「念」が科学的に実証されることがあれば、彼らは安心して「見える」「聞こえる」と言えるでしょうが、おそらく、私の直感では「物質主義の近代科学」の範囲内では無理だろうと思っています。
「パラレルワールド」だとか「多次元宇宙」だとかが常識として広く世間に知られるようになるくらい、時間をかけないと無理です。もしかすると、あと50年~100年くらい余裕でかかるかもしれません。
信じたくないから信じない
そもそも、なぜ「霊が見える」「オーラが見える」というような「超感覚」が怪しいと言われ、霊やオーラなどの存在を「オカルト」と揶揄されて排除・攻撃されるのでしょうか?
「新しい概念」として、なぜ歓迎されないのでしょうか??
理由のひとつは、私が「だから、スピリチュアルは嫌われる」の記事で書いたように、過去に悪用してきた人がいるからです。でも、もう一つ理由があります。
それは、信じることにデメリットがある(=信じないことにメリットがある)からです。
人間は、「正体のよく分からないもの」に恐怖を感じるようにできています。これはきわめて本能的な恐怖です。
正体のよく分からないものが、“存在する”と認めたうえで恐怖を感じるよりも、“そんなものはもとから存在しない”と思いこむほうが、圧倒的にラクなのです。脳にも心理的にも負担がかかりません。
まるで北朝鮮の核の脅威を、なかったもののように思いこもうとする、平和ボケした日本人のようです。どうせ戦争なんて起こらない、と思いこめば、恐怖を感じないですみます。
また、物質主義的な価値観を土台にこれまで生きてきた人で、あるていどの成功をおさめてきた人は、「目に見えるもの・因果関係が明確なものに従うことで成功する」という信念や哲学を持っています。
自分を支える成功哲学を根本から揺るがす可能性がある新しい信念は、なかなか受け入れることができません。これもやはり大きな心理的負担になるからです。
信じることにデメリットがあり、信じないことにメリットがある(少なくとも現状維持は可能)のですから、歓迎しないのは当然です。
幸せになることに根拠が必要か?
ここでいよいよ「まとめ」なのですが、はたして、スピリチュアルを活用することに「科学的根拠」なんて必要でしょうか?
ヒーリングのメカニズムを理論的に理解することが、本当に必要でしょうか?
私はそうは思いません。
なぜなら、私たちは「根拠」も「メカニズム」も分からずに文明の利器を使っています。インターネットも、パソコンも、携帯電話も、私たちは仕組みを何も知らずに使っています。
実用化がすすめられている量子コンピューターだってそうです。量子力学はまだまだ発展途上で、解明されていない謎はたくさんあるのに、いま分かっている量子の動きを使って、量子コンピューターは作られ・活用されてようとしています。
大切なのは、「適切な使い方」です。それについて述べたのが、前編の「スピリチュアルと愛しあう【前編】~愛するならば作法を守れ~」です。
根拠もメカニズムも、私たちが一般的に信じる近代科学の範囲内では説明しきれないとしても、「ある」「ありえる」という態度でスピリチュアルを活用することで、幸せになれる人が一人でも増えるならいいなと、私は思っています。