人間は2種類しかいない。「人生が思いどおりになる人」が「そうではない人」と決定的に違う、ただ1つの特徴
世の中には、ざっくり大きく分けて、2種類の人間がいます。
あなたも私も、世の中のだれもがこの2種類のどちらかに分類されます。
(ただ、黒と白のあいだに濃淡の違うグレーがあるように、この2種類のあいだにも、濃淡の違いによる「中間」は存在します。
ですが黒と白は明らかに違いますし、「黒よりのグレー」と「白よりのグレー」も違います。)
さて、その2種類とは
「私の人生は、私の思いどおりに変えられる」と「信じている人」と「信じていない人」の2種類です。
“このジャンルでは(例えば仕事)思いどおりに変えられるけど、このジャンル(例えば恋愛)は思いどおりにならない…”という風に、条件つきで信じている人は、中間です。
ただ、黒よりのグレーなのか白よりのグレーなのかを判別するように、「どちらかと言えば、信じている派」か「どちらかと言えば、信じていない派」かは、おおよそ自分自身で分かるはずです。
「私の人生は、私の思いどおりに変えられる」と強く信じる人は、自分の人生を主体的に生きることに肯定的です。
逆に、思いどおりにならないと強く感じている人は、「振り回される」経験を過去にしてきたのでしょうし、主体的に生きるスタンスに懐疑的です。
信じている人は、信じたものを、信じた分だけ手に入れる
さて、「私の人生は、私の思いどおりに変えられる」と「100%信じている人」は、「すべて」を思いどおりに変えることができます。
「目に見えるもの」も「目に見えないもの」も、文字どおり「すべて」です。だから、
・お金
・豊かさ
・地位や名誉
・愛情
・人間関係
・理想の体型
などなど、「お金で買えるもの」も「お金で買えないもの」も
望んだものはすべて手に入れることができます。
もし「そんなはずはない!」とあなたが思うなら、それはあなたが「信じていない」からです。
なんだか、自己啓発系やスピリチュアルっぽくなってきましたね…笑。もうしばらくお付き合いください。
私自身のスピリチュアル云々についてのスタンスや考え方は、こちらの記事に書いてあります。↓
ちなみに、「現実は私の思いどおりに変えられる」と「信じている人間」のまわりには、自然と、同じように「信じている人間」が集まる傾向にあります。
人生を思いどおりに動かしていく人のまわりには、同じような人が集まるのです。
あなたのまわりの人間と現実が、「信じていること」を証明する
ですから逆を言うと、あなたのまわりに集まっている人間を見れば、あなたの信じていることが分かります。
あなたのまわりに「人生は理不尽なことばかり」「私は不幸だ」と愚痴っている人はいませんか?
そして、あなたもその愚痴を聞きながら、うなずいてしまうことはないでしょうか。
それどころか、あなたまでもが「いやいや。私のほうが不幸よ」と不幸自慢をしてしまっていないでしょうか。
もしそうだとしたら、残念ながらあなたも「現実は自分の思いどおりにならない!」ということを、信じてしまっているようです。
あなたも含めて、そういう人には、「どうせ現実は自分の思いどおりにならない!」ということを証明するような、理不尽で不運な出来事が次々起こるようになっています。
つまり、結局のところ「信じていることが現実となっている」わけです。
こういうことです。
「現実は自分の思いどおりになる」と信じている人は、現実を思いどおりにできます。
「現実は自分の思いどおりにならない」と信じている人は、現実を思いどおりにできません。
すべて【信じていることが現実になっている】のです。これに例外はありません。
これを、「思考の現実化」と呼ぶことがあります。
ですから、あなたの現実を見れば、あなたの信じていることが分かります。
もしあなたの人生に不幸ばかり起こるなら、それは「私は不幸だ」とあなたが信じていることを証明しています。
あなたが恵まれた人生を送っているなら、それは「私は恵まれている」とあなたが信じているせいです。
この、【信じていることが現実になっている】ことについて、非常に分かりやすく書かれている本に出会いました。
さとうみつろうさんの書かれた、「神さまとのおしゃべり」です。
私が言葉を尽くして思考の現実化を説明するより、この本を一冊読んでいただく方がよほど分かりやすいです(笑)。
なんせ、説明しているのが神さまですから(笑)。←冗談ですよ。あくまで人間が書いてます。
ただ、それでこの記事を終えてしまったら、私がこの記事を書いている意味がないので、私ならではのこの本についてのコメントを書きたいと思います。
「信じていることが現実になっている」に「例外がない」の本当の意味
もう一度言いますが、信じていることが現実になっています。これに例外はありません。
ということは…「この本に出会う人は、この本に出会うことを、信じていた」ということ。
さあ、訳が分からなくなってきましたね(笑)。
「信じていることが現実になっている」と、しつこく私は書きましたし、この本もそれを説いています。
ということは、この本に出会って読んだ人は、この本を読むよりも前に、この本に出会って読むことをすでに信じていたということになります。
だって、その現実を、あなたが作っているのですから。
…さっぱり意味が分からない人も多いでしょうが、構いません、続けます(笑)。
この記事についても、そうです。
あなたがこの記事をいま読んでいるということは、この記事に出会って読むことを、この記事を読むよりも前に信じていたということになります。
不思議ですよね。
たとえば、私に出会った人は、私に出会うことを、出会うよりも前に信じていたということ。
あなたがこれまで出会ってきたすべての物・人は、出会うよりも前に、その出会いをあなたが信じていたということ。
ただし、そのことに自覚は一切ないはずです。
なぜなら、あなたは、未来のことは起こるまでは分からない、と信じているからです。
この考え方の有用な使い方
この考え方に、賛同できなくても、納得できなくても、私はいっこうに構いません。
上でリンクを張った記事「だから、スピリチュアルは嫌われる」に書いたとおり、おしつけることは私のモットーに反しますので。
ただ、この「信じたことが現実になっている。例外はない」の考え方が私にとって有益なのは間違いなく、何か想定外のイヤな出来事が起こったとき、私はいつもこんな風に考えます。
↓↓↓
- このイヤな出来事が起こったということは、私は、いったい何を信じてしまってたんだろう?
- このイヤな出来事から、私は何を学べばいいんだろう?
という風に。
(「想定外」と書きましたが、実際は「想定外」ではないわけです。)
この考え方ができる人は、「自分の人生は自分が作っている」ことを知っているので、「イヤな出来事」も、ただのお知らせだと分かります。
「信じていること」を変えれば、人生が変わるんですから。イヤな出来事はきっかけにすぎません。
さとうみつろうさんの「神さまとのおしゃべり」は、私自身がこれまで信じてきたことが間違いなかったと確信させてくれる本でした。
これも、「私の信じていることは間違いない、ということを、私が信じている」ことの証です。
↑ もはやここまでしつこく書くと鬱陶しい(笑)
「信じていることが現実になっている」について深く知りたい方は、ぜひ「神さまとのおしゃべり」を読んでみてください。
さて、あなたは、何を信じていますか?
あなたが信じていることは、あなたの人生を幸せなものにしてくれていますか?
あなたが信じていることを明らかにしたい人はこちら。