グロテスクなのはいったい誰?
平井堅さんと安室奈美恵さんの『グロテスク』という曲があります。
私はあまり音楽を聴かないのですが、この曲はなぜか前から気になっていました。
そして今日たまたま聴いたところ、
『なんて歌だ!』と驚いてしまいました。
…さすが平井堅さんと安室奈美恵さんですね。
冒頭がこんな歌詞です。
> 強者に媚びへつらう僕に 醒めた視線が突き刺さる
> 背中に汗がつたってゆく Someone said 「I hate you」
> あのコの甘ったるい声を かわいいと褒め称えてみる
> 笑い方が死ぬ程嫌い Someone said 「I hate you」
> 素直に生きる美しさを 黒く塗らなきゃ生きられない
ここで出てくる
Someone said 「I hate you」
は、訳すと
誰かが言う、「私はあなたが嫌い」
という意味ですが、
おそらく間違いなく“Someone”も“I”も”you”も同じ人、つまり自分自身のことですね。
私のなかの私が「あんたなんて嫌い」と言っている
自己否定/自己嫌悪を歌っています。
では、どっちがどっちを嫌ってるのでしょう?
「強者に媚びへつらう僕」のことを、ダメだって歌ってるのだと思いますか?
私は、どっちかというと逆だと思っています。
黒く塗らなきゃ生きられないから、
素直に生きる美しい自分を、
「出てくるな!お前なんて嫌いだ!」と
一生懸命否定して、抑圧しているように聞こえます。
リアルな現実を生きているのは、「黒く塗って生きている」ほうの私なのです。
そんな私にとっては、
素直に生きる美しい自分は、表に出せないのです。認められないのです。
つまり、「素直に生きる美しい自分=グロテスク」なのですね。
続いて、歌詞はこういいます。
> アイツの幸せ喜べますか?
> あのコのもの欲しがってませんか?
> 果たして自分は特別ですか?
> it’s me, why don’t you kill me?
> グロテスクな僕を愛せますか?
> 本当は泣きたいんじゃないですか?
> 今を生きるパスはお持ちですか?
> it’s me, why don’t you kill me?
今度は、「素直に生きる美しい自分」のほうが、反撃するのです。
(実際は反撃じゃないけど)
it’s me, why don’t you kill me?
は、
私だよ、殺してみたら?
という意味です。
「素直に生きる美しい自分」は、
どれだけ抑圧されても、どれだけ否定されても、
決して完全消滅することがありません。
それどころか、
「殺してみなよ。私のこと、嫌いなんでしょ?素直に生きる美しい私を、否定したいんでしょ?ほら、やってみなよ」
と挑発しながら、
「本当は泣きたいんじゃないの?」
と揺さぶってきます。
自己嫌悪と自己否定のなかでグラグラに揺れているとき、
この歌詞は強烈に響きます。
どおりで、初めてこの歌を聴いたとき、歌詞の意味が分からなかったはずです。
あまりに痛すぎて(笑)、頭と心が理解するのを拒否したのですね。
実際に、お客様と接していると、
「素直に生きる美しい自分=グロテスク」と認定してしまっている方はとても多いです。
それくらい、人は「素直さ」が恐いんですよ。
素直の代表といえば、子供です。または、動物たちです。
(虐待など受けていない、純粋無垢な子供や動物)
純粋無垢な子供や動物のように、人を愛せないのです。人を信じられないのです。受け取れないのです。
でも、この歌はラストでこう〆ます。
> あばきだせ、さらけだせ
そうなんです。
殺そうとしても、消そうとしても、どうやら「素直に生きる美しい自分」は消滅してくれません。
それだったら、
あばきだして、さらけだしてみるのも、いいんじゃないでしょうか?
というか、いつか、そうするしかなくなる日が来ます。
それが早いか遅いかだけの違いで。
早めにそれを、したほうがいいと個人的には思います。
それをしないと、
あなたのなかの「素直に生きる美しい自分=グロテスク」は
いつまでも
「殺してみなよ。私のこと、嫌いなんでしょ?素直に生きる美しい私を、否定したいんでしょ?ほら、やってみなよ」
と挑発しながら、
「本当は泣きたいんじゃないの?」
と揺さぶって、あなたを苦しめ続けますよ。
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