シータヒーリング掘り下げ具体例「モノに執着できないのはなぜ?」

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シータヒーリング®のセミナーで、「基礎DNAセミナー」→「応用DNAセミナー」の次に位置するセミナーが「Dig Deeper(ディグ・ディーパー“より深く掘り下げる”)」です。

 

シータヒーリングにおいて、重要なテクニックの1つが「掘り下げ」。

私はもともと掘り下げが大好きで、最初に私がシータを習った先生も掘り下げを徹底的に教えてくれる人でした。

これまでセルフワークでもガンガンに掘り下げてきたので苦手意識はないのですが、セミナーとしては未受講だったので、2019/3/9~3/10の2日間で「Dig Deeper」セミナーを受講してきました。

(なお、2019年4月にはDig Deeperのインストラクター資格も取得予定)

 

今日のこの記事は、私自身のテーマの掘り下げについて、備忘録的に書きます。

同時に、「掘り下げってこんな風にするんだ!」と、一例としてシータヒーリング学習者の方に参考になれば幸いです。

テーマはモノを所有することへの異様な拒否感

今回のセミナーのペアワークで、私が解消したい問題として挙げたのが、「モノに執着することができない」でした。

 

たとえば、私は、他の多くの女性と違って、お洋服やアクセサリーを持つことにあまり執着がありません。

それだけなら単に「ファッションにあまり興味がない人?」なのですが、そうではなく、【モノ全般】を【買うこと・所有すること・集めること】についてネガティブなのです。

学習意欲が高いはずなのに、興味のある書籍を「読みたい」とは思っても、「買いたい」「ライブラリーとして手元に置きたい」とは全然思えない。

好きな本ですら、「自分の周りに置いておきたくない」と瞬間的に思ってしまうのです。

 

「これ、ちょっとおかしいんじゃないか?」と疑問に思い、解消したいと思ったのがきっかけです。

掘り下げ→土台の思考とメリット→置き換え→ダウンロード

セミナー内でのペアワークと、その後のセルフワークで解消した流れはこうです。
「プラクティショナー」→「私」の順番です。

(※プラクティショナーは創造主とつながりながら質問をしていきます)

①状況の整理と原体験をさぐる

「モノが自分の周りにあると、どんな気分になるか?」→「イヤな気分。遠ざけたくなる」

「いつからそう感じるようになったのか?」→「はっきり覚えていないが、12~3歳ごろ」

「それまではどうだったのか?」→「それまではモノを大事にできていた気がする。たとえば、好きなベッドカバーがあったし、お人形を大事にしていたし、漫画本を買ってコレクションしていた。それらに愛着もあった」

「そのときはモノに対してどうだったのか?」→「モノと会話するような、温かいコミュニケーションがあった気がする」

 

「その後どうなったのか?」→「あるとき、モノが私に口やかましく命令したり、支配しようとしたりしてくるようになった感じ。耳を塞ぎたくなる感じ」

「なぜそうなったのか?」→「分からない。ただ、それまでの温かいコミュニケーションがなくなって、突然冷たいコミュニケーションになってしまった。まるで海の寒流と暖流の潮目みたいに、はっきり断絶があるような気がする」

 

「そのとき、どんな出来事があったのか?」→「分からない。でも、年齢的に、子供から大人になるというタイミングで何かあったような気がする」

「何か、とは何だと思うか?」→「無邪気なコミュニケーションがなくなってしまった…。私が無邪気さを失ってしまった…?」

「無邪気さを失ったんですか?」→「いや、違う。何かを失ったんじゃなくて、何かを獲得してしまって、その結果こうなった気がする」

 

ここまでの過程で、子供から大人に成長する過程で、変化が起こったことが分かります。

そして、途中で【耳を塞ぎたくなる】という言葉が出てきました。

どうやら、【何かが聞こえる能力(?)】を獲得したことで、イヤな声や音が聞こえてくる状況(?)があったようです。

②どんな「思い込み」を持ってしまったのか?

ペアワークでは、上記の整理と原体験の掘り下げまで進み、タイムアップだったので以下はセルフワークによる発見です。

いったい、イヤな声や音とは何だったのか?
そして、私が獲得した能力とは何だったのか?を引き続き掘り下げます。

 

「12~3歳ごろ、どんな能力を獲得したのか?」→「理解力…【分かる】【認知する】ことについて、新しい段階に入った気がする」

「それはどういうことか?」→「この世界が、広くて、複雑で、未知なるものがいっぱいあることに気づいてしまった。子供の無邪気で一面的なものの見方だけでは、とらえきれない何かがいっぱいあると分かってしまった」

「それが分かると、どうなるのか?」→「何をどうやっても、理解しきれない気がした。世界が壮大すぎて、圧倒されて、無理だと感じた」

「そのときどう感じたか?」→「怖かった」

「だから耳を塞いだのか?」→「そうだと思う。…でも、同時に、すごく知りたいと思った。怖いけど、ものすごく惹きつけられた。」

 

「じゃあ、なぜ耳を塞いだのか?」→「もっと知りたくて、もっと調べたくて、もっと学びたくて…でも、それをやっちゃダメだと思った」

「なぜ、やっちゃダメなのか?」→「私が知的好奇心や探究心のおもむくままに【学ぶ】ことをするのは、すごく悪いことのような気がする」

 

ここで創造主に問い合わせ、どんな思いこみがあるのかを確認すると「私が学ぶことは親不孝です」という土台があることが分かりました。

 

これは遺伝的な思い込みです。

この思いこみは、父方からも、母方からも、両方から受け継いでいました。

時代背景として、父方も母方もどちらも代々自営業者で、父も母も(親戚もみな)最終学歴として学校はどこまで進むか、その後の職業や進路選択はどうするか、すべて親に決められていました。

学びを深めてその道に進む(知的好奇心や探究心のおもむくまままに学ぶこと)は、親不孝であり、禁止されているという思い込みがあることが分かったのです。

  • 土台となる思い込み:「私が学ぶことは親不孝です」
  • その思い込みのメリット(恩恵):「知的好奇心や探究心をおさえて、親が決めたルールに従うことで、親孝行ができる」

 

結局、私は親孝行をするために、知的好奇心や探究心が出すぎないようにしていたのです。

12~3歳のころに「モノが私に口やかましく命令・支配しようとしてきて、耳を塞ぎたくなった」と思っていたのは誤解で、事実はこうです。

「世界は複雑で壮大で、私の好奇心をどんどんかきたてる!めちゃくちゃ魅力的!」
「でも、ダメ!」
「その魅力にやられちゃったら、私、もっと知りたくなる!」
「そしたら、親不孝になっちゃう(遺伝的思い込み)」
「だから、モノの声が聞こえるくらい興味を持っちゃダメ!」

こういうメカニズム(からくり)だったようです。

③不要な思考の置き換えと感情感覚のダウンロード

まず、不要な古い思い込みを、新しい思いこみに置き換えていきます。メリットのパターンも同時に置き換えます。

古い思い込み「私が学ぶことは親不孝です」

→ 新しい思い込み「私は最高最善に学びます」

古い思い込み「私が学ばないことは親孝行になる」

→ 新しい思いこみ「私は創造主の定義における親孝行とは何かを知っています」

 

そして、新しい思い込みをサポートしてくれる感情感覚をダウンロードしていきます。

感情感覚のダウンロード:

「私は最高最善に学ぶとは、どんな感じがするかを知っています」
「私はどのように学ぶか知っています」
「私は最高最善に学ぶことが可能です」

「私はいつ、どのように親孝行をするか、創造主の定義と観点で知っています」
「それがどんな感じがするかを知っています」
「私は創造主の定義と観点における親孝行をすることが可能です」

「私は親不孝をするのではないかと恐れることなく、学ぶことができます」

おかげさまで、これらの置き換えとダウンロードをしたことで、学ぶことはもちろん、その土台に上にあった「モノを持つこと・集めることへの恐怖感や嫌悪感」がなくなり、ポジティブな気持ちになれています。

重要なのは「新しい行動」「新しい習慣」

思考を置き換えることや感情感覚のダウンロードをおこなった後、新しい思考に沿った「新しい行動」「新しい習慣」の実践がめちゃくちゃ大事です。

せっかく「新しい思い込み」「ダウンロードした感情感覚」が体内に入っても、それらをガンガン使っていかなければ、強化されないし定着していきません。

 

今回私はこれらを置き換えたあとで、早速興味のあった書籍を購入し、以前から契約したいと思っていた動画コンテンツの契約をしました。

今後、「モノを所有し、大切なものをコレクションする」こと、そして「知的好奇心に従って貪欲に学ぶ」ことへの行動をどんどん起こしていきたいと思います。

また、親孝行についての自分なりの新しいバリエーションも試していきます。

 

【追記】

その後、創造主から「私が学ぶことは親孝行になると知っている」という新しい思い込みの提示があったので、追加ダウンロードしておきました。