「ずるい」からの卒業
我が家には子どもが3人います。全員男の子。上から、8歳・5歳・1歳です。
まだ一番下の1歳は、小さすぎて分かってないのですが、上の8歳と5歳の兄弟げんかはなかなか壮絶です。
オモチャの取り合い、お菓子の取り合い、どっちが先にママに歯みがきをしてもらうか、…etc.
ささいなことでしょっちゅう口げんかをし、それでも収まらないときは手が出て、どっちかが大泣きする…みたいな場面は日常茶飯事です。
幼いお子さんが複数いるご家庭では、よくある光景なんじゃないでしょうか。
3~4歳で「ずるい」という言葉を覚えた長男
ところで、長男が3~4歳くらいのとき、突然「ずるい」という言葉を使い始めるようになりました。
この「ずるい」という言葉、いまでも次男より長男のほうがよく使います。(その都度たしなめるのですが)
「◎◎(弟)のほうが、お菓子が多くてずるい」
「◎◎(弟)は保育園だから、宿題しなくていいのはずるい」
のように、「弟のほうが得をしている(僕は損をしている)」と言いたいとき、彼はこの言葉を使います。
ちなみに、弟はずるいことなんて何もしていません(笑)ほとんど言いがかりです(笑)。どちらかといえば、親から見れば、長男のほうが優遇されてるんじゃないの?って場面もチラホラ。
というのも、夫も私も、どちらも第一子として生まれ育ったので、
「お兄ちゃんだから我慢しなさい」
「あなたはお姉ちゃんでしょ。下の子に譲りなさい」
と言われる理不尽さを身を持って知っています(笑)。なので、「お兄ちゃんだから」という理由で、長男に「我慢」や「譲ること」を強制することはないからです。
お菓子など分けられるものは平等な分量を、年齢に応じて対応が変わるものは傾斜配分をするようにして、子供たちに「理由のないえこひいき」や「理不尽な我慢」はしない・させないようにしています。
それでも、長男はやはり「ずるい」という言葉を使うことがあるのです。
最近では次男のボキャブラリーにも、「ずるい」が登場し始めています。
「ずるい」と「羨ましい」の違い
さて、「ずるい」と「羨ましい」は、似て非なる言葉です。
「ずるい」の主語は、他人です。
「弟が(○○だから)ずるい」というように使い、相手を非難するときに使います。
そもそも「ずるい」とは「人をだしぬいて自分が得をするような、正しくないやりかただ。わるがしこい。」という意味の形容詞なので、悪いことをした人や行為に対して使う言葉です。
それに対して、「羨ましい」の主語は自分。
「私は、弟を(○○だから)羨ましいと思う」というように、自分自身の感情を素直にあらわしているだけで、相手を非難する気持ちは必ずしもこめられません。
我が家の場合、次男がけっして悪いことをしたわけではないので、ずるくはないですし、長男が使うべき言葉は「ずるい」ではなくて「羨ましい」なのです。次男の場合も同様です。
ところが、なぜ彼らは「ずるい」とすぐに言ってしまうのでしょう。
それは、深層心理の部分で2つの理由があります。
子供が「ずるい」を使う理由①~欲望と我慢のせめぎあい~
「ほしいものは、ぜんぶほしい」「満足するまでありったけほしい」という、いわば底なしの欲望は、心のうちに誰もが持っている感情です。大人は、「隠し持っている」と言えるでしょう。
ですが、人間は成長するにつれて「ものには限りがある」こと、そして「誰かの持ち物は取れない」ことを覚えます。
食べ物は、食べればなくなってしまう…。
誰かが自分のものだと主張すれば、それを手に入れることができない…。
子供は、「我慢」を覚えなければいけなくなります。でも、我慢はつらいことだし、「ほしい」気持ちはそう簡単には消えない。
内面で起こっているのは、欲望と我慢のせめぎあいです。
たとえば長男や次男にしてみれば、弟(兄)さえいなければ、僕は全部ひとりじめできたのに!という怒りがこみあげてもおかしくありません。
弟(兄)を悪者にしなければ怒りを正当化できないので、「ずるい」という言葉が、彼らにしてみれば気持ちをピッタリ言い表してくれるのかもしれません。
つまり、「ずるい」は、欲望を正当化し、自分は被害者だと訴える言葉とも言えます。
「ずるい」を使い始めた子供は、「ものには限りがある」こと、「誰かの持ち物は取れない」ことを理解した証なのかもしれません。
子供が「ずるい」を使う理由②~競争心と承認欲求の芽生え~
そしてもう1つ。
「ずるい」は悪い人に対して貼るレッテルなので、弟(兄)が悪いということにすれば、自分は「いい子」になれます。(もちろん、そんな思いどおりにはいかないのですが。)
これは、
「だれかの地位が下がれば、相対的に、自分の地位が上がる」
という「人間関係のしくみ」を理解しはじめた証拠です。
と同時に、「勝ちたい」「認められたい」という承認欲求が芽生えてきた証拠でもあります。
「ずるい」という言葉を使って競争相手の足をひっぱり、自分の地位を上げようとするわけです。
この①②を考えれば考えるほど、「ずるい」という言葉を使い始めた子供は、ちゃんと成長していると言っても良さそうです(笑)。
ただし、「ずるい」という言葉は、とても子供の気持ちや感情をストレートに表している言葉であり、良くも悪くも、「子供ならでは」の言葉です。
成熟した大人は「ずるい」を使わない
精神的に成熟した大人は、「ずるい」を使いません。
なぜなら、以下のことを知っているからです。
- 「ものには限りがある」のは事実だが、「もの」の多くは、新たに作ったり手に入れたりできる。
- 愛情や優しさなどは、人の心から湧き出てくるもので、取りあってなくなるものではない。
- パイの取り合いをしなくても、市場は自分で作り出せる。
- 他人の足をひっぱっても、自分の地位が必ずしもあがるわけではない。(むしろ他人の足をひっぱる人間は嫌われる。)
- 本当にずるい(悪い)ことをした人間は、逮捕されたり告発されたり、責めを負う。
「ずるい」という言葉を使う子どもは、まだ、世の中の仕組みをよく知らないから「ずるい」と言うのです。
ところでこの記事を書くにあたり、こんなまとめサイトを見つました。
このサイトにも書かれていますが、たしかに、大人でも、「ずるい」という言葉を使う人はいますね。
もしあなたが「自分もずるいって言いがちかも…」と心当たりがあれば、ぜひ、以下のことをチェックしてみてください。
- 「物や愛情、ポジションなどは、限りがあってなくなる」と思いこんでいないか?
- 自分には新しく何かを創り出せる力がある、という自信を失ってしまってないか?
- 他人の足を引っ張ったら、自分がうまくいくような幻想を抱いてないか?
です。
そして、他人と自分を比較して「ずるい」と言いたくなったとき、ぜひ積極的に「羨ましい」という言葉に言い換えてみましょう。
欲しいものを欲しいと素直に思う気持ちは、健全な感情です。
ちょうど季節は春。
物や愛情が奪われてしまうという囚われや、不毛な足の引っ張り合いから、卒業してみませんか。