病気になったとき、自分を責めなくていいんですか?

真理子です。

 

私のブログの読者の方から、このようなメッセージをいただきました。

 

「病気になったとき、私は自分を責めます。

体調が悪くなって、人にリスケジュールをお願いしたり、
なにかの締切に間に合わないとかだと

人に迷惑をかけるので良くないですよね?

私にとって病気は「罰」みたいなもので、
「何がいけなかったんだろう?」とすぐ考えます。

真理子さんが、病気になった自分を責めないという記事を書かれていたので
「ええ!それっていいの??」と衝撃を受けました。

病気になっても、自分を責めなくてもいいんですか?」

 

メッセージをありがとうございます。ご質問であれ何であれ、
直接このように反応をいただけるのはとても嬉しいです(*^_^*)

さて、この方が読まれた私の記事というのは、おそらくアメブロの
この記事だと思います。

 

この方には、

  • 病気は「罰」です。私が何かいけないことをしたから起こるものです。
  • 人に迷惑をかけるのは良くないことです。
  • 私は自分を責めなければいけません。

という思い込みや思考パターンがありそうです。

メッセージをくださった方に、HP上で記事にすることを快くご了承いただけたので
解説を加えながらご返答としたいと思います。

 

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まず、今回いただいたメッセージから読み取れる大きなテーマは

「(私は)いけないことをした」という「罪悪感」です。

「罪悪感」は、多くの人が持っている感情のひとつですが、
「罪悪感」は「罰を受ける(に違いない)」思考と同調します。

 

多くの人は子供のころから、
自分または周りの誰かが、「罰を受けるような嫌で不快な経験」をしているとき
「あなたが(○○が)悪いことをしたせいですよ!」というふうに
言われる経験をします。

 

「罰せられるのは、私が悪いことをしたせいだ」
⇔ 「悪いことをすると、罰せられる」

「この嫌な・不快な経験は、私が悪いからだ」
⇔ 「私は悪いのだから、嫌な・不快な経験をして当然だ」

 

というように、
「罪と罰」がたがいに関連しあって、強化しあうのです。

 

私たちの生きる現実の世界では、
刑法など様々な懲罰規定がありますが
とがめられるのは、「罪を犯す」という「行動」そのものです。

ところが、
「何も悪い行動を起こしていないのに、私は悪いのだと思いこむ」
ことが往々にして起こります。

子供に、人格を否定するような言葉をかけてはいけないと
よく言われるのは、このためです。

 

この思い込みは、「嫌な・不快な経験」を呼び起こしてしまいます。

自分は悪いのだから、嫌な思いをして当然だという
思考パターンになってしまう
のですね。

 

ここで、読者の方からのメッセージについてです。

 

「病気になったとき、私は自分を責めます。」

に関しては、順序を逆に考えて

「自分を責めているから病気になってしまう(病気になりやすい)」

と解釈することができます。

 

「私にとって病気は「罰」みたいなもの」とご本人がおっしゃるとおり、
病気になることで罪を解消できるからです。

 

「体調が悪くなって、人にリスケジュールをお願いしたり、
なにかの締切に間に合わないとかだと
人に迷惑をかけるので良くないですよね?」

については、それがどのくらい迷惑かどうか、
良いか悪いかという判断よりも

この方にとって
「病気」が「人に迷惑をかける」という新たな「罪悪感のタネ」になっている
ことがポイントといえます。

 

これらはあくまで解釈の仕方の1つなので、これが正しいと断言するわけではありません。

 

ただ、

「罪悪感がある→病気になる→迷惑をかける→次の罪悪感がうまれる」

のループが見えてくると思ったので、ご紹介しました。

一連が「自分を責める」という一本の線でつながっていると思うのですね。

 

では、一体どうしていけばいいのでしょうか?

そもそも、罪悪感は良くないものなのでしょうか?解消すべきでしょうか?

解消するのなら、どうやって?

 

長くなりましたので、前編後編の2回に分けてお送りします。