愛のインプット/アウトプットのずれが悩みを生む
真理子です。
あなたは、恋人や配偶者に、ちゃんと言葉で愛を伝える人ですか?
それとも恥ずかしくてなかなか言えないけれど、
心ではちゃんと想ってるよ、というタイプですか?
きっと相手も分かってるはず…と信じてますか?
愛を受け取ることと与えることについて、
人にはさまざまな思い込みとパターンがあります。
『愛のインプット/アウトプット』について、人それぞれのプログラムがあるのです。
たとえば、
- 愛するとは、愛を表現することだ。
というプログラムを持っている人であれば、
その人の愛のアウトプットは「(相手に伝わるよう)表現すること」です。
言葉や態度や行動で、相手に伝わるように示すことが愛ですから、
表現しないならば愛ではない、と信じているかも知れません。
また、
- 愛するとは、ただそこにいること。
- 表現しない愛がある。
というプログラムを持っている人ならば、
愛の感情を持っていることと、それを表現することは、別次元の話です。
結局のところ、
“愛についてどうとらえているか?(解釈)”
“どのようにインプット/アウトプットするか?(方法)”
が、各人によって違うのです。
先日、あるお客様が個人セッションで、
パートナーが何を考えているのか分からない。
パートナーが私を愛しているかどうか分からない。
という悩みを打ち明けてくださいました。
その方は
- 愛とは行動である。
という思考のプログラムをお持ちでした。
その方自身は、愛する人に対してどんどん行動で示されます。
愛の言葉を伝え、プレゼントを贈り、メールや手紙で連絡し、
とにかく『愛のアウトプット』がアクティブ(行動的)なのです。
そして、たいていの人の場合、
【アウトプットとインプットは相関】
しますので、
相手からの『愛のインプット』も、アクティブ(行動的)であることを求めるのです。
自分が相手にそうするように、(=アウトプット)
相手からマメに連絡があり、愛の言葉を伝えてもらうことで
愛されていると感じることができるのです。(=インプット)
しかし、この方のパートナーは、『愛のアウトプット』について
マメで行動的なタイプではありませんでした。
パートナーを連絡なしに放置する、というようなことも日常茶飯事。
このような両者の思考プログラムのズレが、
「何を考えているのか分からない」「愛されているのか分からない」
という悩みを引き起こします。
これは、どちらが正しい・間違っている、どちらが良い・悪い、の問題ではありません。
【違いがあるだけ】です。
でも、人は誰もが無意識に
- 愛しているなら、こうするのが当たり前でしょ?
- 愛しているなら、○○するはずでしょ?
- ふつう、好きだったらこうするよね?
というふうに、「当たり前」「~はず」「ふつう」という言葉で修飾しながら
自分の【愛のインプット/アウトプット基準】からなかなか離れられません。
(例)
- ふつう、好きだったら男は女におごるよね?
- 好きだったら、メールを毎日欠かさず送るのは当たり前じゃないの?
- 言葉にしてくれないと、分からない。
- 基本、女は待ってるものじゃないの?
- 遅刻しても、本気で愛してたらそんなに怒らないはず。
- 母親は子供を愛していたら、子供の希望を優先させるはず。
- クリスマスプレゼントは、ふつうは1万円以上だよね?
- 連絡がないのは、ふつうは冷めた証拠。 etc.
さて、あなたには
どんな【愛のインプット/アウトプット基準】があるでしょうか。
あなたが恋人や配偶者とのあいだで何か悩みがあるとしたら、
それはあなたのプログラムと相手のプログラムに
ズレ・違いがあるせいかもしれません。
まずは、あなた自身の「当たり前」「~はず」「ふつう」を
見つめてみてくださいね。